本の話 

●頂いた本、最近読んだ本の一部を紹介します。現在の私の研究と深く関わりのある本は、営業秘密(?)の観点から省略しております。
●ご著書お送りいただいたみなさま、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
赤い字で記しているのが頂いた本です。
●最近のものが上で、降順になっています。


2026年(令和8年)

・高橋宏幸訳、カエサル『ガリア戦記』(岩波文庫、2026年)
  2016年に岩波書店から出版されていたものが文庫に入った。

・山際寿一『ゴリラからの警告』(毎日文庫、2022年)

 ユッキーに勧められて読んでみたら、これがまことに面白く、教えられることの多い本であった。
 副題に「人間社会、ここがおかしい」とあるように、ゴリラとの比較から人間の考察に及んでいる。まさにその通りだと思うことが多々あった。同感したところを抜き書きしておこう。

 ・ヘンリー・ソローの『ウォールデン森の生活』の「わたしはわたしの人生にひろい余白をもつことを愛した」を引用して、「人生の余白を持つことが必要なのではないか」と著者は言う。

  ノーベル賞受賞の北川教授も「無用の用」が大事なことを言っておられたが、著者は「ゴリラとともにアフリカのジャングルで暮らして、人間の目には見えない大きな余白を持つことになった。
  今、私たちは人類の発展の歴史を謳歌するだけでなく、人類がどこで間違ったのかを理解するために、自然と再び会話しなくてはならない時を迎えている。」と言う。

 ・「それ(=個食)は私たちがこれまで食事によって育ててきた共感能力や連帯能力を低下させる。個人の利益だけを追求する気持ちが強まり、仲間と同調し、仲間のために何かしてあげたいという心が
  弱くなる。勝ち負けが気になり、勝ち馬に乗ろうとする傾向が強まって、自分に都合のいい仲間を求めるようになる。」
     ゴリラとかの類人猿ではない「サルの社会に人間の社会は似てきている」。つまり、閉鎖的な個人主義社会。

 ・「共感力が失われたとき、人間は、自分と近親者の利益しか考えない極めて利己的な社会をつくりはじめるだろう。」

 ・「現代の私たちは、一日の大半をパソコンやスマホに向かって文字とつきあいながら過ごしている。もっと人と顔を合わせ、話し、食べ、遊び、歌うことに使うべきなのではないだろうか。」

 ・「なぜそういった他人への配慮が失われたのか。世の中が自分中心に動いていて、他人を慮ることが非効率で不確実に見えるからである。」
     まさにこれがサルの世界。ゴリラはそうではない。ということは、人間は類人猿よりも劣ったということになる。


・三浦しおん『舟を編む』(講談社文庫、2015年)
 本書の辞書は現代日本語の辞書である。一方、私は古典ラテン語の辞書を執筆している。もちろんずいぶんと違うところがあるが、校正、出版に向かうところは共通項が多い。面白いと思った箇所二つ。

 ・「辞書を作るひとって、どこか浮世離れしてるものねえ」(p.296) 香具矢の言葉。私もそう思われているのか?

 ・「辞書もまた、言葉の集積した書物であるという意味だけでなく、長年にわたる不屈の精神のみが真の希望をもたらすと体現する書物であるがゆえに、人の叡智の結晶と呼ばれるにふさわしい。」

・頭木弘樹『痛いところから見えるもの』(文藝春秋、2025年)
 NHKの「ラジオ深夜便」の早朝部分を目覚まし代わりにしていたときがあり、そのとき著者が「絶望名言」というコーナーを担当していたことが、本書を手に取るきっかけとなった。
 著者は20歳のときに難病の潰瘍性大腸炎になり、13年間の闘病生活を送り、その後も数々の病にかかり、「痛み」を人生の伴走者にしている「文学紹介者」である。
 さまざまな文学作品を元にして自らの「痛み」を照らし合わせながら「痛み」の考察を行っている。教えられることの多い本だった。


・阿刀田高『90歳、男のひとり暮らし』(新潮選書、2025年)
 私にとっては小説家というよりは『新トロイア物語』とか『ギリシア神話を知っていますか』とかの作者である阿刀田高のエッセイ。「機嫌よく毎日を過ごす<老年のヒント>」と帯びにあるが、それほどのヒントにはならなかった。