【履歴】
 昭和21年に伏見(厳密に言うと、母の実家があった淀)に生まれ、1ヶ月ほどして今の住所に。

 京都市立伏見板橋幼稚園、京都市立伏見板橋小学校、京都市立伏見中学校、京都府立桃山高等学校を経て、昭和40年に京都大学文学部に入学し、2回生の時に水野先生との運命的な出会いがあり、ラテン語の手ほどきを受け、西洋古典文学を専攻することに決める。

 3回生になって、松平千秋先生の西洋古典教室に入る。後に岡道男先生の指導も受ける。非常勤で来られていた中村善也先生にも習う。松本仁助先生、竹部琳昌先生からも指導を受ける。卒業論文はユウェナーリスの諷刺詩であった。以後、京都大学大学院文学研究科(言語学専攻)修士課程に入学し、ホラーティウスの諷刺詩で修士論文を書き、博士課程へと進む。

 博士課程3回生の時にフルブライト奨学金を得て、ミシガン大学大学院で学ぶ。アリストテレス『詩学』の註釈で有名なエルス先生とラテン文学(特に喜劇とカトゥッルス)で有名なコープレイ先生がアドヴァイザーであった。キケロの専門家であるシャクルトン・ベイリー先生の授業にも出席した。このときの4人の受講生の一人が、ニュージーランドからの留学生であったリチャード・F・トマス(現ハーヴァード大学教授)だった。M.A. を受領して帰国し、昭和51年3月、京都大学大学院文学研究科(言語学専攻)博士課程を単位取得退学する。

 昭和51年4月からは大阪樟蔭女子大学学芸学部英米文学科専任講師となり、以後、助教授を経て、平成2年に、大阪大学言語文化部古典語教育講座助教授となる。平成3年からは、大学院言語文化研究科の西洋古典語文化論の授業も担当し、平成4年に教授となる。平成12年10月から言語文化部評議員、平成13年4月から言語文化部長、平成14年4月からは大学院言語文化研究科長となり、平成18年3月末任期満了。平成22年3月31日をもって定年退職。

 平成25年4月から学校法人薫英学園・大阪人間科学大学学長に就任。平成29年3月任期満了して退職.

【専門】
 西洋古典学と演劇学。ギリシア・ローマ演劇、ラテン恋愛エレゲイア詩、オウィディウス、演劇理論、演劇史、演劇評論。

乱読・雑読


【趣味と家族】
読書と観劇は仕事。趣味は、ガーデニング、散歩、タウン・ウォッチング、本屋まわり、山登り・山歩き。
家族は妻と息子、娘の4人。子どもはいずれも社会人。猫のチャチャ。